習慣のためのレコーディングブログ

習慣が苦手だけど勉強しなきゃいけない!他人に見せる記事は書かないけど自分のためのレコーディング記事です。

居た堪れなさ

先日父の会社の人が痴呆症のようなものになり入院した。

入院する前の一週間は父がその人の家まで行って声をかけて、食事の差し入れをしたり病院に行ったか確認をしたりしていた。

この私の父というのはとても支配的な人間で、弱り始めているその人に対して「しっかりしろ」などと説得をしていたのだから彼の症状の一端を残念ながら父も担っているのだろう。

その人の痴呆はきっとそれよりも前に始まっており、父の会社の衰退にともなって会社にと借りていたアパートをいよいよ解約するとなり、私の家族一同で片付けを手伝った際、(それは入院から3、4ヶ月前になるが)その時から妄言のようなものを発していた。

その人は70代で、自身で家族を持つことはなく独身だった。お姉さんはいるようだが秋田に実家があり、親戚とは縁遠くなっていたようだ。父の独裁的な会社運営によりその接触が最小になっていたようにも思う。とにかく近くに心を許せる身寄りがいなかったのだ。

私から見たら父とその人は同僚であり、友人関係なのかと思っていたが、父は社長であり、彼は従業員であったから、そういう主従関係であったようだ。

 

一人の人間をケアすることはそれなりの体力と財力と時間がかかる。昨年その人の痴呆の事柄と時を同じくして私の祖母が100歳を近くにし、介護が始まった。

年齢的なものと祖母の性格上病院で入院し続けたり、施設に入ることは嫌いだったため自宅で祖母の負担にならない治療とケアが行われた。

私の家族は父と母、フリーランスの兄非正規雇用の私であるが、ケアにあたる時間はフリーランスの兄が担った。

週4日の朝から夕方までは兄が側におり、夕方から夜、そして翌早朝までを私と母が側にいた。母は、50代から20年近く現職のパートについているが、家族の財政上働かざる得ないところとその中で仕事への探求の熱を燃やし、我慢と向上心との中で週5の勤務と友人の会計の手伝いの1日の勤務をこなし、なかなかにタフな働き方をしている。

そんな中兄も私も財力でいえば半端な稼ぎをしていて本当に情けないのだが

今回ばかりは、兄がフリーランスで私が講師であったことが役立った。また、社会保障として様々な介護サービスを少額負担で受けられた。かなりありがたかった。

地域のケアマネージャーがどのような介護を受けられるかを教えてくれ、介護・在宅医療の人々をつなげてくれて、介護用品なども整えられ万全な状態でゆっくりと介護生活が行われた。

祖母は膀胱の機能が弱っており、尿管を通して排泄するようになった。また排便はオムツであった。排泄の処理は家族が毎日行い記録した。口からの食事が困難になった時から、点滴の取り替えと痛み止めの注入(ボタンを押す簡単なもの)が始まり、指導がきちんとあっても少し緊張しながら、よく確認して行った。

具体的に文にするともっとあるが、とにかく一人の人間のケアに対して家族3人で全力で取り掛かった。仕事とのバランスから苛立つこともあったり、簡単な介護行為に関しても毎日だとストレスはかかった。この苛立ちというのは3人いて割と分散しながら行えた。

祖母は3ヶ月ほどの介護の末100歳の誕生日を迎えたのち老衰により依拠した。3ヶ月間は本当に尽くし祖母も賑やかさと安心の中逝けたのではないかと家族は感じている。

 

さて父の従業員の彼に戻るが、彼は独身であり、その部屋は軽度の痴呆の症状からゴミが散乱する部屋となっていた。私が体験したケアをもし彼も徐々に受けられたら認知の回復がどこかであったかもしれない。ちょっと傲慢な解釈ではあるが。

ケアを共同できる相手が入れば、もう少し安心して治療に向かえたのではないかと思うわけである。それは、私は家族で行ったが、家族ではない誰かと共有できたら、そのような場所があったら孤独の末に入院することもなかったのではないか。そんなことを思うわけである。

それは施設でもいいかもしれないが、誰もが誰かと繋がれる(繋がりすぎるのもまた問題なのだが)と安心が獲得できるのではないか、また、一人を支えるのにはそれ相応の人数が必要になる。その意味では、共同のスペースを保持し互いに支えられる環境づくりがとても重要なのではないか。

彼のような孤独な人は大勢いるのではないかと思うのである。